とわ子の部屋

Twitter(X)の延長線で始めた独り言

棗の思い出

書きたいことっていろいろあるものなんやね。Twitter(もう面倒なのでTwitterっていう)で棗の写真を見て思い出したことがある。いまは水星逆行期間らしく、昔のことを思い出してはポロポロと文字にしようとしている。

 

さて思い出したのは大学生の時。生協主催の企画旅行で、ベトナムホーチミンで日本語を学ぶ学生たちと交流しつつ観光しようという旅だった。友人と参加した。

 

とても楽しかった。ベトナムの学生たちはとても快活で、日本語ができるってだけの我々をすごくrespectしてくれて、なんやかやともてなしてくれた。いまは分からないが、当時原付バイクはベトナム生活の「足」。無数のバイクが走る中を流れに乗るように、初めて原付バイクの後部に乗って、運転者の腰に手をかけて運んでもらう体験ができたのはとても新鮮で、今でもあの感覚は強く残っている。

 

で、彼らと屋台で食事をした時のこと。鍋を囲んで、ベトナムの学生が取り分けてくれた。その中に棗も入っていた。

私は棗に馴染みがなくて、周りのベトナム人に「おいしい、体にいいよ」と言われて促されていたのに、結局食べずに残してしまった。

その時の、取り分けてくれた綺麗な女の子の顔がかすかに曇った様が忘れられない、それが「せっかく分けたのに!」といった怒りなどではなく単純に「食べてくれなかったこと」を残念がる様子だった。鍋の中に大量に入っていたわけではない棗をわざわざ取り分けてくれただろうに、それを私は薄々感じていただろうに。

 

食べなかった当時の私をぶん殴りたい気持ちになる。めちゃくちゃ失礼なことしたな、と今でも何かのきっかけがあると思い出す。元々食べ物を残す性質の人ではなかったのにね。